大阪市内の主要な道路って、一部を除いて
南北に走る道路を「筋」 例)御堂筋
東西に通る道を「通」 例)千日前通
と呼ぶというのが常識のようですが・・・
そんな常識を疑ったことがなかった、大阪人の私でしたが、朝日新聞の記事を読んで、
必ずしもそうではないというのだ。
例えば、人形店やおもちゃ屋さんが多く集まる「松屋町筋」ですが、この道路の正式名称は、「市道天神橋天王寺線」というのだそうです。
この「筋」や「通」は、道路の愛称に使われているというのです。
大阪市の道路の愛称選定の初回は、1970年の大阪万博の頃の道路整備の機会に、
当時の大阪市土木局が決めることにしたとのこと。
その頃に参考にしたのが、南北を「筋」に、東西を「通」にしていたという、
太閤さんの時代(豊臣秀吉の時代、つまり安土桃山時代後期)の慣習に倣ったもの
ということだそうです。
この時に、「千日前通」などの8つの「通」と、「あべの筋」など4つの「筋」が命名されました。
それと、「松屋町筋」、「御堂筋」など愛称が既に定着していた6つの「筋」を加えて、合計18個の道路の愛称が決まったのだそう。
それから2回、1983年の大阪21世紀計画の時と、1995年のなみはや国体の時に公募で決めたことがあって、愛称がある道路は合計47個あります。
太閤さん(豊臣秀吉)の時代、例えば船場の町割りは、東西南北碁盤の目状に区割りされました。
町は東西の通りから、次の通りまでを1つのブロックとして、約78m四方の正方形に区画整理されていました。
大きな店や屋敷の玄関は、東西の通り(幅約8.4m)に面するように並んだので、南北の道路(幅約6.5m)に面するのは横壁か塀になります。
このような家並みだと、各店や屋敷の玄関が並ぶ東西の通りに比べて、南北の通りは
賑やかさに欠けていて、通り抜けするための道となり、「筋」と呼ばれていました。
しかし、日本橋筋、難波橋筋、心斎橋筋、天神橋筋、戎橋筋など、「筋」には橋の名前が
ついていることが多いです。
これには、「筋」は町の通りと通りをつなぐ役割なので、その道路に名前を付けようと
する時に、特徴的な名前にはならないので、通りを出たところにある堀にかかった
橋の名前になったという説があります。
御堂筋はこれらとは異なり、沿道に御堂が建ったことから、その特徴から名付けられた
ということのようです。
さて、一方で大阪の史料によれば、必ずしも南北に走る道路を「筋」、東西に通る道を
「通」というのが常識とはいえないという説もあります。
例として
1.大阪夏の陣の直後の史料に、「高麗橋筋」という記述があるとのこと。
現在の高麗橋周辺だと考えられているが、橋は当時から東西方向に架かっていたとのこと。
そうであれば、筋が必ずしも南北方向の道路だとは言えないのかもしれないのではないか。
2.江戸時代の大坂の町は、家の玄関が向き合った空間のことを「通」と呼んでいたという。
人の往来だけでなくて、商売の場であったり、祭りの日に自慢の品を披露したりする
ような、日常と非日常がつながった生活の舞台だったのではないかとみる向きもあります。
さらに最近、この太閤さん(豊臣秀吉)の時代からの常識を覆す、珍事件の道路の愛称が出現したという。
それが、なんばパークスの前にある「パークス通」です。
この道路は、南北に通っているが、「通」の方が賑やかな感じがするからということで、
「筋」ではなく「通」になったといいます。
大阪の中に生きる常識の謎。
これからもウォッチしていきたいと思います。
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